1973 年、国立音楽大学卒業後、日伊コンコルソでミラノ大賞を受賞し、イタリア政府給費留学生としてイタリア・ミラノのヴェルディ音楽院に留学。74年、ミラノのピッコラ・スカラ座ドニゼッティ「リタ」にてデビューをはたし、その後イタリア各地で演奏活動を重ねる。同年レッジォ・エミーリア国際声楽コンクールで特別賞を受賞。75年より西ドイツのオールデンブルグ国立劇場と専属契約を結び、プッチーニ「外套」、「ジャンニ・スキッキ」などを歌う。77年に帰国し日生劇場にて「蝶々夫人」ピンカートン役で日本デビューを飾り、その後の精力的で華々しい活躍を始める。83年、第11回ジロー・オペラ賞受賞。89年、オーチャードホール・オープニングオペラ「魔笛」タミーノ役、日生オペラ「蝶々夫人」ピンカートン役などで好評を博す。91年、日生劇場「モーツァルト没後200年6大オペラ公演」では三演目に主演し、それぞれの役にて見事な舞台を表出させ絶賛を浴びた。93年には三枝成彰「千の記憶の物語」他の現代オペラに挑戦、新しい題材のオペラを次々とこなし、レパートリーを広げる。94年、モーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」、團伊玖磨「素戔鳴(すさのお)」初演に出演。数少ないベルカント・テノールの第一人者であり、交響曲、オラトリオ、ミサ曲のソリストとして各オーケストラから常に招かれ、96年にはNHK交響楽団より永年の演奏活動に対して「有馬賞」を授与された。97年、三枝成彰「忠臣蔵」の世界初演、新国立劇場こけら落とし團伊玖磨「タケル」などの重要な公演に出演し円熟した歌唱、演技を披露。近年は2001年1月に紀尾井町ホールにて「小林一男テノールリサイタル2001」、同8~9月にはオペラ「夕鶴」中央アジア公演旅行にて「ウズベキスタン国立ナヴォイ劇場」、「カザフスタン国立劇場」などに出演。02年3月藤原歌劇団公演ベッリーニ「カプレティ家とモンテッキ家」、04年1月東京芸術劇場プッチーニ「蝶々夫人」、同7月宮城・白石キューブにてプッチーニ「ラ・ボエーム」に出演するなど益々円熟の舞台を務めている。また一方楽しいおしやぺりとともに贈る各地でのリサイタルも、その澄み切って厚みのある声質の良さと叙情的な表現力をもって多大な人気と名声を博している。その間、母校である国立音楽大学では1986年~2015年までの30年間にわたり後輩の育成に努め、大学および大学院教授を歴任、同大学音楽研究所オペラ演奏研究部門では主任として、作曲家ニーノ・ロータを中心にイタリアの近現代オペラを約10年間に渡って研究し日本初演となる作品の公演を重ね2015年3月に定年退職した。現在は、自宅他にて後輩たちの指導にあたっている。
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